猫ひげ1000本

ふと自分に聞いてみたくなる1000の質問

ちょっとはマシになった

ちょっとはマシになった。

 

この表現、いつもモヤっとしないではいられません。

 


マシになった、つまりよくなったというポジティブな結果なのに、どういうわけか、そのポジティブ感が薄い。


それはなぜなら、出だしが悪いという前提があるから。

 

出だしが悪い、つまりマイナススタートだから、それがよくなったとしても、ゼロになったぐらいの感覚なのです。

 


トントンになるっていう表現があるけど、これも同じ。

 

マイナスとプラスを相殺してトントンになる。

 

トントン。

 

シャンシャン。

 

リンリン。

 

マタマタ。

 

シンシン。

 

ユウユウ。

 

はい、言いたいだけです。

 

 

 

戻りましょう。

 

“マシになる”も“トントンになる”も、よくなったにも関わらず、元々のマイナスが頭にあるから、やっと見られるようになったとか、やっとマトモになったとか、やっと体裁が整った的な、やっと感しかない。

 

でも、結果を見ると、確実によくなっている。

 

そう、よくなっている。

 


だったらシンプルに、よくなったって言えばいい。

その方が、結果を充分に満喫できるし、単純にいい気分になる。

 

自分にも他人にも、「マシになったね」と言う代わりに、「よくなったね」と言ってあげよう。

 

 

ふと自分に聞いてみたくなる1000の質問 #20

 

ダメな自分を引き合いに出しては、「ちょっとはマシになった」なんて言っていませんか?

 

おまけ

先ほど挙げた、トントン、シャンシャン、リンリン、マタマタ、シンシン、ユウユウ。

 

この中に、パンダじゃない名前があります。

どれでしょう?

 


答えは、マタマタ。

 

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”水底で獲物を待ち伏せ、獲物が接近すると口を大きく開けて水ごと獲物を吸い込んで捕食する”

だそうです。

 

恐い。。。

ルールって絶対的じゃないなら、それはもはやカレールー

北京オリンピック、盛り上がってますね。

 

これ、前回と全く同じ書き出しです。

オリンピック関連のことを書こうとすると、なぜかこれで始めてしまいます。

 

とりあえずは、タイトルについて説明しておこうと思います。

 

思いつきでつけたタイトル。

それゆえに、このあとタイトルについて一切触れる機会がありませんので、冒頭で説明を済ませておこうと思います。

 

カレールーって、カレーのルーってことです。

ボンカレー、ジャワカレー、バーモントカレーのカレーです。

 

説明以上。

 

 


本題に入ります。

 

長く続く流行病のせいで、世界は疲弊しているけれど、北京の地で、その熱い血をたぎらせ、その身体を躍動させ、その心を研ぎ澄ませながらメダルを目指す人たちが、今この瞬間いると思うと、

 

こんなことで世界は止まれない、

私も止まれない、

止まってはいけない、

 

と改めて強く思います。

 

 

そしてここ数日、アスリートたちの活躍の裏で物議を醸しているのが、フィギュアスケート女子、ワリエワ選手のドーピング問題。

 

ここでは、詳しい説明は省きますが、ワリエワ選手のドーピング違反が発覚したにも関わらず、CAS=スポーツ仲裁裁判所は、ワリエワ選手がオリンピックに出場し続けることができるという判断を下しました。

 

それを受け、その判断を強く批判する声や、ワリエワ選手を応援する声など様々な声が、世界各国のアスリートやスポーツ関係者から寄せられています。

 

 

この件に関する私の個人的な意見は、こうです。

 

ダブルスタンダード二重規範)は許されるべきではない。

 


どのような事情があれ、守られるべきルールは存在する。

 

それに例外を認めてしまったら、それにまつわる全てのことが根底から揺らぎ、拠り所を失ってしまう。

ドーピング違反は、それに該当すると思います。

 

それは例えば、人を殺してはいけないということと同じ。

そんなひどいことをされたのなら殺しても仕方がないよね、心情的にはそう思うことがあったとしても、だからといって、人を殺していいということにはならない。

 

事情や相手によって、人を殺しても許される、罰を免れることができるのだとしたら、一度でもそんなことを許してしまったら、そのあとはもう、私たちの足場は、ぐずぐずとぬかるんで、終いには崩れ去ってしまう。

 


とはいえ私は、ルールだからといってなんでもかんでも守るタイプではありません。

 

結構守らないタイプかも…

 

所詮「人の作ったもの」という感覚が、どうしてもあります。

 

しかも大概は、作った人に都合のいいようにできている。

 

加えて、ルールというものは、一度できてしまうと変化を拒絶するような硬直性を持っているのが常なので、それを闇雲に守ることに意味を感じないどころか、守る必要性がないとさえ思うことがあります。

 

 

以前、ビジネスコミュニティみたいなものに入っていました。

 

そこにはいくつかルールが存在しました。

そしてそれらのルールは、参加者みんなが安心して活動できるための絶対的なものとして、コミュニティのリーダーが強く標榜するものでした。

 

ですが、絶対的なもののわりに、それらのルールには「解釈の幅」が存在しました。

そしてその解釈の幅はいつも、リーダーの個人的判断に依存していました。

 

誰かがルール違反をした。

それがリーダーを慕っている人、リーダーを信者のように崇めている人の場合は、リーダーの解釈によって、その違反はたいしたことではないとされました。

逆に、そんなリーダーから距離を置いている人、リーダーに異議を唱える人に対しては、ルール違反だと糾弾し、コミュニティから追放すると脅しました。

 

そしてリーダーはそれを、とてもソフトな口調で、どこまでも紳士的な様子で言うのです。

 


マインドコントロールという言葉がありますが、この世の一部の人間は、他人を操ることに非常に長けていて、そしてこの世の一部の人間は、他人から操られることに非常に長けている、それがそのコミュニティの人たちの在り方を見て学んだことでした。

 

 

この世には、人間のエゴや欲による、どうでもいいルールが溢れているけれど、その一方で、絶対に破ってはならないルールもある。

 

そして、その破ってはならないルールが破られた時、それに対する罰は例外なく下される、そこを譲ってはならない。

 

ワリエワ選手のドーピング問題から、そんなことを思いました。

 

 

ふと自分に聞いてみたくなる1000の質問 #19

あなたがルールを一つ定めることができるとします。

それはどんなルールですか?

 

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王子様が王座から降りる時

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北京オリンピック、盛り上がってますね。

 

平野歩夢選手の金メダル、ドラマチックでした!

 

そして王子様、羽生結弦選手。

残念でしたね。

 

試合中、成績上位の三人が待機する「グリーンルーム」とやらを、日本人が独占する場面がありました。

真ん中に一位の鍵山優真選手、その両脇に宇野昌磨選手と羽生結弦選手が座っているのを見た瞬間、かすかな違和感を感じました。

 

ですがすぐに、その違和感の正体がなんなのか、わかりました。

 

羽生選手が真ん中にいない。

 

王子様である羽生選手。

絶対王者である羽生選手。

いつも真ん中にいるイメージがありました。

それが当たり前の光景すぎて、彼が、誰かの脇に収まる、悪く言うと、脇に下る様に、衝撃にも似た驚きがありました。

スポーツの世界は、そういった意味でとても非情で、それと同時に、努力を重ねる誰にでも王座に座るチャンスがある、そう思わされる場面でした。

 


試合後のインタビューでの羽生選手の言葉には胸を打たれました。

 

「正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないけど」

 

自分で頑張ったと言い切れるって、そうそうないことだと思います。

 

少なくとも私は、滅多にない。

 

っていうか、ない。

 

 

「報われない努力」


これもやはりスポーツの世界で生きる彼だからこそのセリフだと感じます。

 

努力って基本、最終的になんらかの形で報われるというか、無駄にはならないものじゃないですか。

ですが、オリンピックという場で、金メダルを獲ることしか選択肢に無いような立場で、それが叶わなかったら、やはりそれは「報われない」ということになるのだと思うと、彼は幼い頃からとても過酷な世界で頑張ってきたんだなと思いました。

 

「確かに、SPからうまくいかなかったけど。むしろ、うまくいかないことしかなかったけど、一生懸命頑張りました」

 

一生懸命頑張りましたなんて、言ったこと…

 

ない。

 



幸か不幸か、私はスポーツの世界で生きているわけではなく、この小さな一室で、床に落ちた猫ひげを一本二本と数えているだけで日々が過ぎていくような、そんな世界で生きているので、「一生懸命頑張りました」ってところまで自分を追い込まなくてもどうにかなっています。

 

でも、羽生選手の清々しい笑顔を見ていたら、私も死ぬまでに一度は「一生懸命頑張りました」って胸を張って言ってみたい、そんな気持ちになりました。

 

というわけで、明日から、色々頑張ってみようと思います。

 

これ、絶対やらない人の言い方じゃん。トホホ…

 

 

ふと自分に聞いてみたくなる1000の質問 #18

一生懸命頑張る。あなたはなんのために頑張るの?

 

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床に落ちた一本の猫ひげ

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みなさん、初めまして。

猫ひげ1000本です。

 

私、「猫ひげ1000本」と自分のことを名付けるぐらいなので、やっぱり猫が好きなんですよ。

 

なんですが、もう長い間、猫と暮らしていません。

ペット禁止のマンションに住んでいるので、猫を飼いたくても飼えないんです。

 

で、仕方なく、YouTubeで猫動画を見たり、近所の野良猫に話しかけたり、猫カフェに行ったりするんですが、それでもやっぱり、猫を恋しく思う気持ちが抑えられない。

 

一日に三回は、ミャーと鳴き声をあげてみたりもします。

そんな私に、すっかり夫も慣れていて、テレビを観ながら無表情でミャーと返してくれます。

 

でもそんなんじゃ、私の猫を恋しく思う気持ちはどうにもなりません。

 

先月から、はてなブログを始めましたが、だったらいっそのこと猫になってしまおうと、猫ひげ1000本と名付けました。

 

でも、そんなんで、どうにかなることじゃないんですよね。

 


そもそも猫ひげというのは、床に一本、思わぬ拍子に落ちているから、ぷっという笑いを誘ったり、おっ?という驚きを生んだりするわけです。

 

失恋して落ち込んでいる時に、床に一本、猫ひげを見つけたなら、それが慰めになる。

仕事で疲れて帰ってきた時に、床に一本、猫ひげを見つけたなら、それが癒しになる。

 

猫が亡くなった数ヶ月後、床に一本、猫ひげを見つけたなら、飼い主は、「まだこんなとこにいたんだ」と、ちょっと笑顔になりながら、亡くなった猫を偲んで涙を流す。

 

 

これ、一本だから成り立つ話なんです。

 

一本だからこそ、猫特有の、とぼけた感じとマッチして、笑いを誘い、懐かしさを呼び、存在感を放つんです。

 

それなのに、私の名前は猫ひげ1000本なんです。

 

床に猫ひげが1000本も落ちてたら、もうそれは、ただただ

 

うざいです。

 

ちょっとも〜、掃除機持ってきて!

足に刺さって痛いじゃないの!!

 

っていうか、掃除機が壊れるわよ!

 

っていうかこれ、

 

猫何匹分??


ってなるに決まってます。

 

 

なんで一本にしておかなかった!

 

なんでそこで欲張った?!

 

 

今更言っても遅いです。

 

でも、ここまで読んだら、とりあえず私の名前は覚えて頂けたに違いないと確信しています。

 

毎日エッセイを書いています。

よろしければチェックなさってみてください。

 

猫ひげ1000本でした。

 

恋愛における最高の瞬間

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恋愛における最高の瞬間。

 

私にとってのそれは、間違いなく、付き合う前。

 

互いの気持ちを明らかにしていない、でも互いに気があるのはわかっているというあの瞬間。

 

あの時ほど、交わす視線が熱っぽく、いたずら心に満ちていて、目を伏せてはすぐに互いの視線を追いかけ合う、ドキドキに満ちた時はない。

 


でも若い頃は堪え性がなかったから、すぐに相手を手に入れようとした。

その瞬間を味わう余裕がなかった。

 

全てが性急だった。

 


でも、大人になったらその瞬間を長く楽しむ余裕ができた。

もっと言うと、相手を手に入れるまでのプロセスを楽しむ貪欲さが生まれた。

 


そして更に大人になったら、相手を完全には手に入れずに、自分の周りに置いてキープする狡猾さが生まれた。

 


そんなことを昨夜、ジャイアントコーン片手に、プロレスを観ながら考えていた。

 

 


ふと自分に聞いてみたくなる1000の質問 #17

あなたにとって、恋愛における最高の瞬間はいつですか?

 

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嫉妬の飼い慣らし方

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人間は生まれながらに不平等だ。

 

私はいつもこう思っています。

 

だってそうでしょ。

美人に生まれる、そうじゃなく生まれる。

金持ちの家に生まれる、貧乏な家に生まれる。

日本に生まれる、内戦の続くどこかの国に生まれる。

健康で生まれる、障害を持って生まれる。

愛してくれる家族の元に生まれる、赤ちゃんポストに置き去りにされる。

 

そういう生まれながらの不平等、自分ではコントロールできない不平等は、動かしがたい事実として存在する。

 

加えて、いつも私はこう思っています。

 

この世は不平等だ。

 

上司に気に入られて重用される、なんとなく気にくわないという理由で冷遇される。

好きになった人が、自分ではなく別の人を選ぶ。

まわりと同じかそれ以上に頑張っているのに、成果がでない、評価されない。

あの人の夫はエリート商社マンなのに、自分の夫はリストラされて無職。

あの人の子供はすんなり保育園に受け入れてもらえたのに、自分の子供は待機児童。

有名店の焼きたてクロワッサンの列に並んで、自分の前の人が最後の一個をお買い上げ。

 

不平等を数えだしたらきりがない。

 

そしてその不平等を殊更に取り上げて、それに執着する心に振り回されたら、きりがない。

 

私は二十歳過ぎ、社会人になった頃には、嫉妬心とは縁を切りました。

 

もちろん意図的に努力して縁を切りました。

 

なぜそんなことをしたのか。

 

もちろん苦しかったからです。

 

他人を妬んで、嫉妬心でがんじがらめになって、苦しくて苦しくて仕方がなかったからです。

いわゆる、一般的な、嫉妬心に苛まれて苦しいという類いのものです。

 


ただ、私には別の苦しさがありました。

 

子供の頃、小学校に入る前なので4〜5歳だったかと思います。

いつも遊んでいる近所の友達が二人いました。

彼女たちは事あるごとに言います。

 

「いいねえ、さゆりちゃんは」

 

いいねえ、の中身は極めて単純なことです。

私の家が一軒家だったということ。

彼女たちはアパート住まいだった。

 

誕生日にプレゼントをもらったと話すと、「いいねえさゆりちゃんは」が始まって仲間外れにあう。

私の両親は、誕生日とクリスマスにしかプレゼントを与えない方針でした。たった年に二回のことです。逆に彼女たちは年中、何かかしらを買ってもらっていた。

ですが小さな子供にとって、一軒家とアパートというただ一つの要素が、全てを判断するのに充分だったのでしょう。

 

幼かった私は、自分の中に嫉妬という概念も言葉も持っていなかったので、彼女たちが私に向けるそれが、嫉妬であるという認識はありませんでした。

 

ただ、とても生臭い空気とでも言うのでしょうか、そういった、べたべたしたものを彼女たちから感じました。

 

そしてたぶん私は、非常に勘のいい子供だったのだと思います。

 

そのべたべたしたものを意識してからは、彼女たちが「いいねえ」を言うたびに、彼女たちの顔がひどく醜く見えるようになりました。

なんと言ったらいいか、悪魔や化け物という表現とも違う、非常に醜悪でいびつな表情が、彼女たちの顔に貼りついて見えるようになったのです。

 

それからは他人が私に嫉妬心を向ける時、必ず相手の顔がそのように見えるようになりました。

 

大人になってからもそうです。

大切な友達の顔にそれを見ると、ひどく悲しい気持ちになりました。

 

歪んだ表情を貼り付かせながらその人たちは言います。

「あなたのために言っているの」

 

そう言いながら私を、私のためにならい方向へ引っ張って行こうとします。

 

お願いだからやめて。じゃないと嫌いになっちゃう。

いつもそう思いました。

 

成長過程において、私自身が他人に嫉妬することももちろんありました。

そうした時、私は自分がそういう表情をしているんじゃないかとひどく恐れました。

あんな表情を晒すぐらいなら死んでしまいたいとさえ思いました。

だから二十歳を過ぎた頃、嫉妬することをやめました。

 

ただただ前述の二つを自分に言い聞かせました。

 

人間は生まれながらに不平等だ。

この世は不平等だ。

だから、それに心を使うことに意味がない。

 


誤解なきよう言っておきますが、私がそれをできたのは、私が他人より恵まれた環境にいたからとか、他人より多くを持っていたからというわけではありません。

ここでは書きませんし、またこれまで誰にも話したこともありませんが、私は昔からひどく不平等なこと、なんで自分はこんな宿命にあるのかと嘆かずにはいられないことがあったし、そして今もあります。

ですから、嫉妬をしない、他人を妬まないと決めて、それができるように訓練を重ねて、嫉妬を手放したことは、決して私にとって容易なことではありませんでした。

 

ただ、確実に言えることは、嫉妬しない自分になったらものすごく生きるのが楽になったということです。

 

他人から自由になることより、自分から自由になることのほうがよっぽど難しい。

だからこそそれを可能にしたら、生きることは随分楽になります。

 

私みたいなやり方で嫉妬を手放すことができないと思う方もいるでしょう。

でしたらシンプルにこう言います。

 

Just focus on yourself.

自分に集中しましょう!

 

他人のカバンの中身と自分のカバンの中身、それを比べて心を苦しくさせるくらいなら、自分のカバンの中身を充実させる、ただそれだけに集中しましょう。

相対的基準ではなく、いつでも自分の絶対的基準による満足不満足を感じましょう。

 


そして、もう一つ。

 

嫉妬は伝わります。

 

嫉妬心による、べたべたした感触は、相手にどうしたって伝わります。

たとえあなたがうまく隠していると思っていても。それは対面でも電話でも、ちょっとしたやり取りの文章でも伝わります。

 

ですから、もしあなたが誰かに嫉妬しているのなら、妬んでいるのなら、悪いことは言いません。少しの間、その相手とは距離を置きましょう。

会って話したり、メッセージを交換したり、そういう行為を通して、あなたの嫉妬は滲み出て相手へ浸透していきます。

相手はそれをあなたの嫉妬心とはっきりと気付かないまでも、不快な感触に少なからず違和感を感じるはずです。よっぽど鈍感な人でない限り、何かは感じます。

 

ですから、嫉妬しているなら相手と関わらない。

それがあなたを守る術でもあります。

 

 

ふと自分に聞いてみたくなる1000の質問 #16

 

嫉妬している時の自分の顔、鏡で見たことがありますか?

 

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傲慢な男

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私、イーロン・マスクが大好きなんです。

 

彼を知らない人のために。

 

イーロン・マスクアメリカ人実業家。宇宙開発企業スペースXの創設者およびCEO、電気自動車企業テスラの共同創設者。

 

そして、世界一のお金持ち。

 

世界一ということは地球一!

 

そりゃぁ彼にとって、宇宙までの道のりなんて、私にとっての東京ー名古屋間みたいなもんでしょう。

 

 

世界一の富豪であり、天才起業家。

 

ここまでで既に、多くの男性が欲しがる典型的な三つのもののうちの二つ、金と名声(パワー)を手に入れてしまっている。

 

ときたら、あとは女性。

 

最初の奥さんこそ一般人ですが、その後付き合った人は女優や歌手。
ジョニーデップの妻だったアンバーハードと、ジョニーがいない間にジョニーのベッドで。。。という話も有名です。

 

金と名声、そして女性を手に入れた男、イーロン・マスク

 

しかもそのレベルが、そこらへんの金持ちとか、そこらへんの起業家、そこらへんのモテ男たちと、宇宙規模で違う。

 

そういう男性から飛び出す発言というのはやはり、

 

傲慢でエゴイスティック。

 

だからオモシロイ!

 

 

世界経済を動かせるほどに成功している起業家の「性格」については、いい評価を聞きませんよね。

スティーブ・ジョブズにしても、アマゾンのジェフ・ベゾス、トランプ元大統領も、「性格破綻者」という表現が使われるくらい。

 

イーロン・マスクも同じ。

 

それぐらいじゃないと成功しないとも言われますが、私は、ただ単純に、彼らのある一面、性格破綻者と呼ばれるような一面だけが、成功や金というイメージと共に浮き立って伝えられているだけだと思っています。

 

彼らの「いい人」的な面や「普通」の面を見せられても、人の興味・関心を引きませんから。

私だって、イーロン・マスクの傲慢発言がなかったら、彼にたいした興味は湧きません。

 


ただ、傲慢発言は置いておいて、イーロン・マスク、世界一の起業家だけあって、いわゆる名言というものもたくさんあります。

 

せっかくなので、傲慢発言ではなく、彼の名言を三つだけ、こちらでご紹介したいと思います。

 

それは信じられないほどの素晴らしい冒険になるだろう。
人生は、日々の問題を解決するだけではない。あなたは目を覚まし未来に興奮する必要がある。

 

変化を好まない人もいる。その結果不幸になるのならば、変化を受け入れる必要がある。

 

失敗は結果として起こり得るもの。失敗してないのならば、あなたは十分にイノベーティブであるとは言えないでしょう。

 

 

では最後に、私からの迷言を一つ。

 

トーストの上にバターを塗って、その上にあんこを乗せる。

こんな革新的なコンビネーション、誰が思いつくだろう。

名古屋が小倉トーストを生んだのではない。

小倉トーストが名古屋を生んだのだ。

 

イーロン・マスクの名言を太字にせず、自分の迷言を太字にする私って、それこそエゴの塊だわ♡

 

 

ふと自分に聞いてみたくなる1000の質問 #15

 

あなたが憧れる人、尊敬する人、興味をかきたてられる人がいるとして、その人の何が、あなたに強く訴えかけるのですか?

 

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