猫ひげ1000本

ふと自分に聞いてみたくなる1000の質問

嫉妬の飼い慣らし方

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人間は生まれながらに不平等だ。

 

私はいつもこう思っています。

 

だってそうでしょ。

美人に生まれる、そうじゃなく生まれる。

金持ちの家に生まれる、貧乏な家に生まれる。

日本に生まれる、内戦の続くどこかの国に生まれる。

健康で生まれる、障害を持って生まれる。

愛してくれる家族の元に生まれる、赤ちゃんポストに置き去りにされる。

 

そういう生まれながらの不平等、自分ではコントロールできない不平等は、動かしがたい事実として存在する。

 

加えて、いつも私はこう思っています。

 

この世は不平等だ。

 

上司に気に入られて重用される、なんとなく気にくわないという理由で冷遇される。

好きになった人が、自分ではなく別の人を選ぶ。

まわりと同じかそれ以上に頑張っているのに、成果がでない、評価されない。

あの人の夫はエリート商社マンなのに、自分の夫はリストラされて無職。

あの人の子供はすんなり保育園に受け入れてもらえたのに、自分の子供は待機児童。

有名店の焼きたてクロワッサンの列に並んで、自分の前の人が最後の一個をお買い上げ。

 

不平等を数えだしたらきりがない。

 

そしてその不平等を殊更に取り上げて、それに執着する心に振り回されたら、きりがない。

 

私は二十歳過ぎ、社会人になった頃には、嫉妬心とは縁を切りました。

 

もちろん意図的に努力して縁を切りました。

 

なぜそんなことをしたのか。

 

もちろん苦しかったからです。

 

他人を妬んで、嫉妬心でがんじがらめになって、苦しくて苦しくて仕方がなかったからです。

いわゆる、一般的な、嫉妬心に苛まれて苦しいという類いのものです。

 


ただ、私には別の苦しさがありました。

 

子供の頃、小学校に入る前なので4〜5歳だったかと思います。

いつも遊んでいる近所の友達が二人いました。

彼女たちは事あるごとに言います。

 

「いいねえ、さゆりちゃんは」

 

いいねえ、の中身は極めて単純なことです。

私の家が一軒家だったということ。

彼女たちはアパート住まいだった。

 

誕生日にプレゼントをもらったと話すと、「いいねえさゆりちゃんは」が始まって仲間外れにあう。

私の両親は、誕生日とクリスマスにしかプレゼントを与えない方針でした。たった年に二回のことです。逆に彼女たちは年中、何かかしらを買ってもらっていた。

ですが小さな子供にとって、一軒家とアパートというただ一つの要素が、全てを判断するのに充分だったのでしょう。

 

幼かった私は、自分の中に嫉妬という概念も言葉も持っていなかったので、彼女たちが私に向けるそれが、嫉妬であるという認識はありませんでした。

 

ただ、とても生臭い空気とでも言うのでしょうか、そういった、べたべたしたものを彼女たちから感じました。

 

そしてたぶん私は、非常に勘のいい子供だったのだと思います。

 

そのべたべたしたものを意識してからは、彼女たちが「いいねえ」を言うたびに、彼女たちの顔がひどく醜く見えるようになりました。

なんと言ったらいいか、悪魔や化け物という表現とも違う、非常に醜悪でいびつな表情が、彼女たちの顔に貼りついて見えるようになったのです。

 

それからは他人が私に嫉妬心を向ける時、必ず相手の顔がそのように見えるようになりました。

 

大人になってからもそうです。

大切な友達の顔にそれを見ると、ひどく悲しい気持ちになりました。

 

歪んだ表情を貼り付かせながらその人たちは言います。

「あなたのために言っているの」

 

そう言いながら私を、私のためにならい方向へ引っ張って行こうとします。

 

お願いだからやめて。じゃないと嫌いになっちゃう。

いつもそう思いました。

 

成長過程において、私自身が他人に嫉妬することももちろんありました。

そうした時、私は自分がそういう表情をしているんじゃないかとひどく恐れました。

あんな表情を晒すぐらいなら死んでしまいたいとさえ思いました。

だから二十歳を過ぎた頃、嫉妬することをやめました。

 

ただただ前述の二つを自分に言い聞かせました。

 

人間は生まれながらに不平等だ。

この世は不平等だ。

だから、それに心を使うことに意味がない。

 


誤解なきよう言っておきますが、私がそれをできたのは、私が他人より恵まれた環境にいたからとか、他人より多くを持っていたからというわけではありません。

ここでは書きませんし、またこれまで誰にも話したこともありませんが、私は昔からひどく不平等なこと、なんで自分はこんな宿命にあるのかと嘆かずにはいられないことがあったし、そして今もあります。

ですから、嫉妬をしない、他人を妬まないと決めて、それができるように訓練を重ねて、嫉妬を手放したことは、決して私にとって容易なことではありませんでした。

 

ただ、確実に言えることは、嫉妬しない自分になったらものすごく生きるのが楽になったということです。

 

他人から自由になることより、自分から自由になることのほうがよっぽど難しい。

だからこそそれを可能にしたら、生きることは随分楽になります。

 

私みたいなやり方で嫉妬を手放すことができないと思う方もいるでしょう。

でしたらシンプルにこう言います。

 

Just focus on yourself.

自分に集中しましょう!

 

他人のカバンの中身と自分のカバンの中身、それを比べて心を苦しくさせるくらいなら、自分のカバンの中身を充実させる、ただそれだけに集中しましょう。

相対的基準ではなく、いつでも自分の絶対的基準による満足不満足を感じましょう。

 


そして、もう一つ。

 

嫉妬は伝わります。

 

嫉妬心による、べたべたした感触は、相手にどうしたって伝わります。

たとえあなたがうまく隠していると思っていても。それは対面でも電話でも、ちょっとしたやり取りの文章でも伝わります。

 

ですから、もしあなたが誰かに嫉妬しているのなら、妬んでいるのなら、悪いことは言いません。少しの間、その相手とは距離を置きましょう。

会って話したり、メッセージを交換したり、そういう行為を通して、あなたの嫉妬は滲み出て相手へ浸透していきます。

相手はそれをあなたの嫉妬心とはっきりと気付かないまでも、不快な感触に少なからず違和感を感じるはずです。よっぽど鈍感な人でない限り、何かは感じます。

 

ですから、嫉妬しているなら相手と関わらない。

それがあなたを守る術でもあります。

 

 

ふと自分に聞いてみたくなる1000の質問 #16

 

嫉妬している時の自分の顔、鏡で見たことがありますか?

 

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